こんにちは、あまねですよ。
さて、今年も書くのです。震災のこと。
といっても今年は大したものではない感じです。
というのも、今年は去年までと比べて書く気になりませんでした。
2月の末くらいから気がずーんと重くなり、世の中に震災のニュースが徐々に増えていくのとはまったくもって比例せず、だんだんと文章を書くこと自体イヤになってきました。
こんなことは初めてであり、ニュースはちょっと見ていられない感じではあります。
とはいえ書く仕事でお金をもらっていることと、被災者であることの使命感で今年もなんとか書いてみるのであります。
10年のせい。
さて、10年といえばなんでもそうですが「一区切り」と言われるのです。
「ひと時代」と言われたりもしますね。
震災時に生まれた子供は小4だし、小学生だった子供は成人してたりします。
なんですけども、私もそうですが、大人としては「もう」という感じでしょうね。
そんなに経っているのに進まない復興にやきもきし、そして経ってしまったから難しくなったこともあります。
それが「遺体の身元確認」です。
現在、どんなにDNA鑑定による身元確認技術が進んでいても、それは照合できなければ特定できません。
では照合するものは何かといえば、遺品なのです。
故人の髪の毛や唾液などの残った遺品が、なかなかもう残っていないのです。
死者の9割が溺死であり、溺死ということは津波に襲われた確率が極めて高く、だからこそ何もかもが流されていて遺品がないのです。
唯一頼みの綱であるのは、歯による特定です。
ご遺体の歯列や治療痕を見て残っていたカルテと照らし合わせ本人を特定するのです。
この検視ができるのが、歯科医師。
当時は遺体安置所に「警察歯科医」と呼ばれる、警察から任務を任された特定の歯科医師が当たっていました。
この想像を絶する過酷な任務について以前に記事を書きました。
良かったら読んでくださいね。毎年リンクしてますけど。
↓クリックすると飛びます↓
「警察歯科医」って知ってる?東日本大震災で活動した、ある歯医者さんの知られざるお仕事
警察歯科医ではないけど、検視に当たった最も有名な歯科医師はGreeenのメンバーじゃないでしょうかね。
彼らは当時研修医でしたっけ?違ったらごめんなさい。
まだ若かったはずですね。
現場に駆り出されたって書かれてたのを読みました。
でも本当は自ら検視を志願されたそうですね。
ご遺体といっても、まともな状態ではないことは想像できます。
いやもう想像以上でしょうね。津波に流されたご遺体ですから。
それだけでなく、焼死体の、もう体がほとんど残っていない灰をかき分けて、そこから歯を探り出して、コンクリの上に歯列として並べて、そしてカルテを書くんです。
地獄絵図だったと思います。
私は数年前まで歯科に勤めていて、歯科が大好きだったので、口の中はよく見てきました。
担当としてオペにもつきました。
しかし患者さんは生きていますからね、かなり違います。
ご遺体の口を無理やり開けるなんて、想像を絶します。
歯が身元特定の最後の砦なのです。
そして、他の誰でもない歯科医師だけが、故人の身元を特定するという大きな使命を負っているんですね。
それを知って、上記の記事を書かずにはいられなかったのであります。
10年という歳月が身元特定を難しくさせています。
一日ごとにどんどん難しくなるでしょう。
なんとか特定させていただいて、家族のもとに返してあげてほしいですね。
沈んでる。
こちらのサイトを見てみてくださいね。
https://www.asahi.com/shinsai_fukkou/undersea/?s=03
海の中がどうなっているのかが見える、画期的なサイトでした。
PCでもスマホでも、下にスクロールしていくと、水面からどんどん潜っていくようにして10年を追うことができます。
海底に沈んでいるものも、ぜひ見てくださいね。
日経の東日本大震災のページはこちら
https://r.nikkei.com/special/shinsai0311
震災の資料。
震災伝承館というサイトがあります。
東北地方整備局が管理している公式のサイトで、震災の時の写真や動画などがたくさん残されています。
資料として探している方はぜひこちらをご覧ください。
大柴も執筆時に写真をお借りしておりました。
当時役所や国がどのように動いていたのかも見ることができます。
去年までは「neverまとめ」にも写真をまとめたページがあったのですが、閉鎖してしまったので、今年はこちらだけを挙げておきますね。
寄付のこと。
寄付っていったら、赤十字が思い浮かびますかね。
当時は赤十字に多額の募金をされた方がいた一方、
赤十字ってお金を何に使ってるの?
ちゃんと被災者に届くの?
っていう声が、山梨に移住してからよく聞かれました。
大丈夫!!ちゃんと届いてますよーーーー!!!!
我が家には家電一式をいただきました。
テレビ、洗濯機、電子レンジ、冷蔵庫、あとなんだっけ。
その後離婚しちゃったから他の家電とはお別れしましたけど、テレビだけは今も使っています。
お金なかったけどこいつのおかげで、離婚後の生活も賑やかに過ごせました。
テレビないとしんどかったよ。知り合いもいないしね。
色々含めて、ありがとう世界。ありがとうみんな。
本当におかげ様です。
なんですけど、今でも「赤十字って…」って言う方がいるので、一応お伝えしますね。
私はかなりお世話になったので、献血で恩返ししてますよ。
んで、
山梨に来て「被災者とダイレクトにつながる方法ってないのかな?」と聞かれたもんで、それはご紹介しました。
ボランティアプラットフォームというサイトです。
今は海外ボランティアの紹介サイトになってますけど、当時は物資を送るために個人でつながれたのです。
実際に紹介して「ありがとう送ったよ」という声もいただきました。
もちろんちゃんとしたサイトですよ~。
私は宮城を出る時に「関東は暖かいからセーターいらんべ」となめてかかってたので、同級生だった女子と、津波被害の多かった県北の地域にニット系を送りました。
「その地域は津波なかった」とか「クレクレ詐欺だ」とか色々情報が飛び交ってましたけど、でも結局誰かが着てくれるなら、それで良かった。
実際山梨ではそれほど着てないよ(笑)
だって私の身体は寒冷地仕様なんだから。必要ないない。
ところで、
上の写真のことです。
ジョイセフをご存じですか?
女性と子供の生活を守り、自立できる社会を目指す団体です。
世界中の女性の基本的人権はもちろん、物資の足りない発展途上国の女性を支援しています。
震災の時は、避難所へたくさんの生理用品が送られました。
他にも、赤ちゃんのおむつやミルク、妊産婦向けのケア用品などなどたくさん。
そういう活動を知った時から、物資の寄付などをしています。
使用済み切手や不要なスマホの寄付など、毎日の生活でできることがたくさんあります。
あなたもしてみて。
↓↓
https://www.joicfp.or.jp/jpn/donate/support/
使用済み切手は3月31日で終了なのです。
なので、期限ぎりぎりまで集めて送ろうと思います。
お買い物をするだけでできる募金もありますよ。
できることってたくさんありますね。
結局10年とは。
結局10年って、ただの月日です。
経っただけ。
記念日好きだからね、人間て。
ですけど、区切りなんてないですよね。
それは戦争でも、どの地域の震災でもそうです。
10日の東京大空襲のことだってそうですよ。
ただ明日があるだけ、そうサンドウィッチマンも言ってましたわ。
ただし、同じ日がやってくるとそれなりに意識して苦しみますから、そこら辺はありますよね。
私も含めて。
また寄付とボランティアと献血と、あと何かに精を出す11年目にしていくのです。