はいどうも、もう4月が来ちゃったことにおどろいて2,3日固まっていたあまねですよ。お元気かしら。
もう4月とかって、マジ?エイプリルフールよね?
↑すでに4月1日であることに気付いていない。。。
まあ、世の中は春ですよね。
そこらじゅうよい匂いがしますから。
我が家の桃の枝からこれでもかとイモムシが落ちてきますから。
懐かしいものが出てきました。
小~中学生の頃は占いに関する資料や記事を見つけるとスクラップしたり自分でまとめたりしていたのですが、当時の愛機マッキントッシュパフォーマーで作ったなんらかの資料です。
(何らかって・・・)
(この時点で年齢が・・・)
何度も引っ越しをしているので昔のものはだんだんとどっかに行ってしまうのですけど、これだけは持っていましたね~
12星座別性格とかエレメント別性格傾向とか書かれていて、まったくよく作ったもんですわ。
B5のあさぎ色の上質紙にプリントしてあります。
あさぎいまだに好き。
そのファイルの中に、姓名判断の結果の紙が入っていました。
と言ってもコレですが。
これは勤めてからなので、あさぎ色の紙に一生懸命プリントしていた10年ほど後のものですが、職場で仲良くなった友人のママが書いてくれたものです。
彼女は仕事の先輩ですが、素晴らしい人で後に友人となります。
彼女を育てたママだから、素晴らしい人なのでしょうと今なら思います。
当時の名前は今とはぜんぜん違うのですが、一応消しますよ。消し方すら下手くそですんませんね。
これを「ママからだよ」と言って友人から受け取った時、正直「ん?どうした?」程度のものでした。
姓名判断にはあまり興味がなかったのです。
そして自分の名前をみてくれるよう、頼んでもいませんでした。
急に渡されたのですね。
しかし読んでみると、まあひどいこと。
当時の名前は
「苦労することを当然とする」
「犠牲的精神」
「自己犠牲の塊」
ですって。
あらら。
当時の名前はかなり珍しい呼び名なのですけど、いいこと書いてないんだよねえ。
しかも開運法が
「空腹をさける」
「食道楽になる」
ええ!それだけは今も!!
一口がしっかり肉となり肉となっていますよ!
しかも社会面では
「協調性がない」
「教祖的存在」
って!
それ両立します?!
いやどっちもなんかどうなのよ!!
そんなツッコミどころ満載なんですが、最後の一言にびっくりしました。
ら、来年良縁??!!
そんな良縁がありそうな気配なんて何もない。かけらすらどこにもないんだけど・・・
と思っていたのですが、
翌年の年末になんと結婚してしまいました。
自分でも行動の速さに驚きです。(射手座です♪)
そんな友人のママの姓名判断ですが。。。
このママは占い師でもなんでもありません。
主婦で3人の子供のママです。
どこにでもいる普通のママなんですが、
”普通のママ”らしい愛情を感じました。
友人からこれを手渡された時、
「ママが、あんたが最近心配だから占ってみたんだって」
と言われたんです。
ママには会っていないのですが、
友人はとても友達想いで、きっと家庭で私のことを話していたのかもしれません。
そしてそんな娘の大切な友達である私を、我が子のように心配してくれたのだなあと嬉しくなりました。
そんなママの娘だから、友人もまたとても友達想いなのでしょう。
プロではないから、書かれた文章も箇条書きで「いかにも本から拾いました」感があります。
でもたくさんの意味が書かれている中から、私のことを考えて慎重に言葉を選んで抜き出してきた感じがそこら中にあって、そこにとても愛を感じました。
何より、娘の友達を励ます方法に、楽しいお出かけでも美味しい食事でもなく「占い」を選んだことが驚きです。
これが
「あ~、占いって愛なんだな~」
と初めてきちんと感じた出来事でした。
私たちもカードで占う時、最初は本を見たりしてそこから言葉を拾ってきたりしますけど、たくさんの意味が書かれた言葉の中から適切な言葉を拾えるのは、あくまでも相手のことを中心にしているからです。
当たり前じゃんと思うけども、本ばかり見て相手を見ていない人が多いんじゃないかと思います。
カード占いは
「カードを使って相手をみること」なんではないかと思います。
「カードを見ること」でもないし、「本を見ること」でもないですよねえ。
当時若くしてとても心が疲れていた私ですが、内容がぴったりだったことにびっくりし過ぎて、疲れがちょっと飛びました。(若干盛っています)
もしかしてこれを見てしまったから、無意識が動いて結果通りに動いてしまったのかもしれません。
そういう要素を含んでの占いですから。
でもこの時ほど「じわっ」と優しい愛を感じたことはその後あまりないのですが、書いた本人が意図していてもいなくても、こういう風に十何年も紙切れをとっておきたくなるような、そういう温かい気持ちにさせてあげられるように、心の支えになれるように、私もなりたいなあと今でも思います。
ほっこりした話で終わっても良かったのですが、そうでもないことも思います。
やっぱり名前って「呪い」よね~。
産まれて最初にかけられる呪い。
名前という型にハマりながら生きていくわけだから、型がいかに大事かっていうことを思うわね。
その「型」ってのが姓名判断で言うところの「地画」なのかなあと思いました。
ええ私書かれていたように大凶でしたけど。
「犠牲的精神」や「我慢強さ」なんて、周囲の大人が与える型として定番です。
大人や場合によっては社会がそうだったりしますよね。
典型的な交流分析にもつながる点です。
そんな呪いを言葉にしてくれたという意味でも、友人のママには感謝しています。
イメージを形にする、流れを形にする、って、形にすることで現実化していくから、とても大切なのね。
今さら思います。
それじゃあじわっとしたところで今日はこのへんで。
今年流行中の「春バテ」にご注意くださいな。