はいどうも~あまねですよ。すっかり秋かと思いきや30どしーですわ。暑いですわ。
本日は新月!!アファメーションデーですよ☆
私は直後の15時くらいに行う予定です。午後のティータイムにぜひお試しあれ~
ところでタイトルにあるとおり仙台の話なんだけど、仙台市は私が生まれ育った故郷なんですよ。
それでたまに私の記事のネタにされております。
最近だとコレ。
ジョジョフェス2017
↑クリックで飛ぶよ
今年の夏に開催されていたアレね。見たことあるかしら?
ああ、このサイトさんは訪日タイ人の方向けなので、右上の国旗ボタンで翻訳して読んで下さいな。
トップの写真もこれも仙台市です。
ジョジョフェス紹介にも書いたけれど、仙台市が主催となって開催されているので、物すごい悪ノリ!
町中っておもしろすぎでしょう。だって街が大きいから、村起こしの規模じゃないのにね。
どうして開催することになったのかというと、東日本大震災がきっかけなんだそうです。
震災のあと、どうにか仙台を盛り上げたいってことになって、仙台市副市長が作者の荒木飛呂彦先生に直接お願いしたのだとか。
荒木先生、粋ですね。私はずっと前からジョジョの作者=地元っていうイメージが強かったので、これは離れていてもとても嬉しいですね。
「ジョジョリオン」でも東日本大震災は登場しています。というか東日本大震災の後の杜王町が舞台なのです。
ちなみに仙台市は伊達政宗公の生誕祭でもわいています。
この写真、仙台城跡の売店なんですけど、私20代の頃ここでバイトしたことあるんですよ!
ずんだシェイク販売してました(笑)ずんだ知らない?枝豆の餡のことです。あんこはあずき餡でしょ。ずんだは枝豆だから黄緑色なの。
ジョジョが、というより東日本大震災が絡む話は、これまで3回ほど記事を書かせてもらいました。
そして最近のがこちらです。
震災遺族の不思議な心霊体験「私は死んだのですか?」
いつもお世話になっている不思議ネットさんです。クリックで飛びます。
もう東日本大震災から6年半なんだけど、直後よりも時間が経つにつれて記録を残してみたり記事を書いてみたりしたいなあと思う気持ちが強くなった気がします。
それでこのHP内でも日記として書いていますけど、この「時間が経っても震災のことを考えている」のは、震災被災者特有のものだなあと思うのですね。
写真は、仙台の歌手さとう宗幸さんの「広瀬川~流れる岸辺~♪」の広瀬川。
で、被災者特有のものなんですけど、それに対して被災未経験の方は、他の記憶と同様にだんだんと消えていくわけですね。これは当たり前ですね。
だんだんと消えていく間に経験したのが、「被災者とそうでない人の壁」のようなやつです。
そりゃ壁あるでしょ、経験ないんだから。
こうなると思いますが、壁というか違和感があるんですね。これが不思議でならなかった。
で、先日この記事の中でも参考にしている「呼び覚まされる 霊性の震災学」を読んだ時に、その違和感の正体が分かりかけたのです。
それが文中に書かれている「記号化」でした。震災のことを「震災」「フクシマ」「原発」「絆」という記号化をすることによって、それが出来事とイコールになり、被災者がまだ苦労していてもいなくても、それが過去のひとつになって流されていってしまう、というものでした。
私がこりゃ参ったなあと思った記号は「フクシマ」ですね。宮城県て確か震源地なんですけど、世間では震災=福島県ということになっているので、関東に引っ越した時に「仙台から来たの?じゃあ被災者じゃないんだ?」「被災してきたの?じゃあ福島なんだね」という言葉が遠慮なしに来るんですね。悪気がないだけに、これは被災者でないと分からない悲しみでしょうなあ。
こういった記号化はマスコミが作っているんですが、マスコミが報道しなければ現地の状況も分からないので、アンビバレンツですね。これはマスコミにも流行や時代の流れがあるから、それに則って報道されているだけに過ぎないので、恨んでも仕方ない話です。
記号化することで歴史に残すことができます。一方で被災者とそうでない人との差が大きく開くのも事実。だからこの壁というか間の溝は、きっともう埋まらないのでしょう。
ところでこの仙台市内の写真は、全て現地に住んでいる兄弟に撮ってきてもらったものです。(お礼に関東グルメを色々送りました)
ずいぶん変わってしまっているので、驚きましたね。もう私の知らない街ですな。
ところでその兄弟が、不思議ネットさんに掲載された記事を読んで珍しく意見なり感想なりを送ってきました。『』が兄弟の意見です。
『コメ欄が割りと常識の範囲内だったな。』
いやまあ・・・中傷コメントなんてデフォルトなんだけどね。
コメントですね、嬉しかったですよ今回は。被災者の方もたくさんいたしね。それでそうではない人でも「これを
ふ~んで終わらせてはいけない」って書いて下さっているんです。
コメントはこちらです。一番下にあります。
『どんな記憶もいつかは言葉に変わっていくよな。大事なのはその言葉をただの記号と捉えるか、それとも知識情報として捉えて未来に活かせるかということか。例えるならテストの点数のために名称を暗記するか、研究して再発防止に努めるかってとこか。』
これはうまい例えなのだろうか??分からないけど、確かに私も歴史の勉強をする時は出来事をキーワードとして覚えるわけだから、記憶するだけならキーワード記憶が当たり前になっているんですね。
でも知識情報として生かせるならそれは未来志向だからとても良い感じがします。それでも被災者との溝は埋まらないけれどね。
『記憶の記号化の好例が8月6日と8月9日だな。最近の若者にとっては『ただの夏の暑い日』なんだろうけど、知ってる人や体験者にとっては『原爆の日』なんだよな。言葉の内容から受けた印象の強弱がその言葉の記号化と知識化を分けているのかな。』
原爆の日や終戦記念日については、私は本当に記号として知っているだけなんですね。でも経験者がまだまだたくさんいますから、歴史の一つではないんですね。
コメントに関しては、実はこの印象ってやつにも関係すると思うのです。たくさんの記事を見ていると、良くも悪くも印象がその人の中にあって、興味がある人がコメントを残します。私の今回の記事は、あまり中傷コメントはなかったですけど、震災のことを「6年半も経ってまだ言ってんのか」と思う様な、印象が薄く興味のない人は記事自体読まないわけだから、コメントは残さないのではないかと。
読む人は心霊好きさんと震災に強い印象を持っている人だと思うのですが、その中でも印象が強い人がやはりコメントを残します。だから前向きなコメントが多いのではないかなあ。私からすると、「震災の記事は無難」なんです。震災の記事で中傷コメントはほとんど付きません。中傷するような人は最初から見ていないので。それを兄弟に伝えてみました。納得だそうで。
「警察歯科医」って知ってる?東日本大震災で活動した、ある歯医者さんの知られざるお仕事
こちらは以前に書いた記事です。遺体安置所視点ではこのような雰囲気なのです。
そしてこちらが今回の記事の参考にさせていただいた本です。
呼び覚まされる 霊性の震災学
魂でもいいから、そばにいて―3・11後の霊体験を聞く―
もし興味があったら覗いてみて下さいね。